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ネットから学ぶドラドラの基本

国際展開する銀行に、リスク資産の8%以上の自己資本を積むように求め、リスク資産額を自己資本の5倍以内に抑えた。 資本に対する資産の比率に国際的な歯止めをかける画期的な規制だった。
リスク資産は内容に応じて重みを変えた。 民間企業向け融資のリスク額は融資額の100%、銀行向け融資は融資額の、国向けの融資(国債の保有も同じ)は0%と決めた。

ところが、銀行はその抜け穴探しに狂奔する。 パーゼルIを守ると、それまで力を入れてきた融資では高い利益が上げにくくなるからだ。
パーゼルIを守りながら収益を上げようとすると、選択肢は限られた。 ひとつは国向けの融資を増やすことだ。
リスクの掛け目がゼロとされるような先進国向けの融資であれば、いくら増やしてもリスク額は増えない。 これは、先進国が国債による安易な資金調達を膨らませる素地になった。
2つ目は民間企業向けの融資の質を落とすことだ。 質を落としてもリスクの掛け目が同じなら、落とした方が利回り益の増加を期待しやすい。
金融の安定化をめざす規制が、不良債権を増やしかねない危険をはらんでいた。 3つ目はリスク量が増えない抜け道を探ることだ。
バランスシートに載らない簿外(オフバランス)取引を強化すると共に、バランスシートには載るものの、リスク量が増えない方策を探った。 それが、トレーデイング勘定による取引の増強だった。
金融機関には、主に長期の融資取引をする銀行勘定と、短期の有価証券取引をするトレーデイング勘定がある。 トレーデイング勘定による取引は流動性の高い有価証券の短期売買が前提になっているため、パーセルIはリスクは低いとみなした。

これが市場取引拡大の主因で、銀行はそれを逆手にとって2003年ごろからトレーデイング勘定を利用した取引を膨らませる。 国債の売買のほかに、さまざまな有価証券や融資などもトレーディング勘定で取引した。
その中には、サブプライムローンを裏付け資産とした証券化商品や、転売を目的とした高リスクのLBO向け融資なども含まれていた。 そうした商品は流動性が高いわけではないので、本来的にはトレーデイング勘定での取引にはなじまないが、銀行は転売目的だと言い張った。
トレーデイング勘定の規模が膨れ上がり、銀行勘定と合計した資産合計の資本に対する倍率(レパレッジ倍率)は、パーゼルIで想定していた水準をはるかに超えて膨れ上がった。 パーゼルが後押ししたレパレツジ拡大レパレッジの拡大を加速したのは、金融監督当局だった。
当局は、銀行などの持株会社化、総合金融機関化といった新しい金融機関経営の流れに合わせ、レパレッジ規制も緩めた。 1998年6月末、FRBは銀行界のレパレッジ規制緩和要求を受け入れ、銀行持ち株会社への新しいレパレッジ規制を導入した。
銀行が持ち株会社でさまざまな事業を手がける中で、規制を緩め銀行グループが高い利益を上げやすくするためだった。 FRBは「銀行と貯蓄金融機関の規制の平灰を合わせる必要がある」「規制を市場リスクにも対応したものにする」などと主張したが、銀行界の利益代理人的な姿勢が透けて見えた。
具体的には当局が使っている銀行評価システム(BOPECレーティング・システム)で1(優良を意味)とされる銀行持株会社は、資産に対する中核自己資本(テイアー) の比率を最低3%とすることを認めた。 それ以外の銀行持株会社は最低4%だった。
レパレッジ倍率に直すと優良銀行は中核自己資本のお倍まで資産を積み上げることができ、それ以外のお倍よりレパレッジ倍率を引き上げた。 これを受けて銀行グループは融資に力を入れる。

米国の銀行の信用供与残高(ローンとリースの合計)は、規制緩和された6月に3兆1300億ドルだったが、2007年6月には6兆2700億ドルと9年で倍増している。 とりわけ年率の融資残高の伸び率が2桁という異常な状態が4年も続いた。
緩めた銀行グループの融資を投資銀行へと振り向けたのが、自己資本比率規制を作ったパーセルI員会だった。 4月、パーセルIは自己資本比率(パーゼルI) の修正を打ち出した。
経済協力開発機構(OECD)加盟国の証券会社向け融資は、リスク量を算出する際のリスク掛け目をできるとの内容だった。 パーゼルIでリスク掛け目は民間企業向けが100%、OECDの銀行向け、OECD加盟国向け(国債)が0%だった。
証券会社向けはそれまで民間企業向けの100%が適用されていたが、銀行と証券を兼営する金融コングロマリットの規制が議論される中で、同じ金融監督当局の監督下にある証券会社向けを銀行に合わせた。 パーセルIの修正を受けて米国では、FRB、連邦預金保険公社(FDIC)、通貨監督局(0CC)が7月から証券会社向け融資のリスク掛け目を100%に引き下げた。
対象になるのは、SECに登録され、SECの自己資本規制を満たし、民間格付け会社から高い格付けを得ている証券会社だった。 これによって銀行は投資銀行向け融資を5倍に伸ばしてはじめて、リスク量は従来と同じになる。
投資銀行に巨額のマネーを流す準備が整った。 一方で、マネーを受け入れる投資銀行の規制も緩めた。
SECは、実際に投資銀行が多額の資金を借りられるように、レバレッジ倍率を規制していた「ネット・キャピタル・ルール」を緩和した。 これによって貸す銀行、借りる証券共に、大手を振ってレパレッジを拡大できるようになった。
銀行はB・SやR・Bなど、証券会社向け融資に力を入れた。 そして安易にマネーを入手できるようになった投資銀行は、借金をベースに拡大路線をひた走る。

レパレッジをフルに利かせた投資銀行バブルは「強欲」が原因とされるが、それを支えるレパレッジ経済を可能にしたのはパーセルI員会、FRB、SECといった規制当局だった。 吹き荒れた規制緩和の流れが、信用のパックストップであるレパレッジ規制を緩めるという過ちにつながった。
その結果、歯止めを失ったマネー経済は暴走を始める。 レパレッジ拡大の背景には、緩和的な金融環境もあった。
ひとつは、2001年以降の日米欧の金融緩和だ。 日本は不良債権問題から抜け出すため、1999年にゼロ金利政策を導入。
政策金利である無担保コール翌日物金利を0%近くに誘導した。 日銀は2000年8月にゼロ金利政策をいったん解除したが、その影響で景気は再び悪化したため、3月には金融政策の目標を当座預金残高とする量的金融緩和政策を導入した。
これは、市場に大量の資金を供給して金利を0%近辺に縛り付ける、事実上のゼロ金利政策である。 しかも日銀は、この量的金融緩和を消費者物価の上昇率が安定的にプラスになるまで続けると宣言した。
この宣言によって、ゼロ金利が、次回の金融政策決定会合までだけでなく消費者物価がプラスになるまでかなりの期間にわたって続くとの期待を市場に植え付け、期間の長い債券の金利の低下をも促した。 利回り曲線(イールドカーブ)は平坦になり、国債の利回りが0・4%程度まで低下した。
FRBはITバブルの崩壊を受けて、1月から政策金利を下げ始めた。 6月には、日本の無担保コール翌日物に相当するフェデラルファンド金利(FF金利)を1%とした。
第二次大戦後の歴史を振り返っても、希に見る低水準の金利環境になった。

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